お寺が出来る道徳教育

 仕事や生活に追われていると、どうしても効率やスピードが求められる。1日が、1週間が、1年が、あっという間に感じるのも時間に追われているからであろう。
 
 そんな生活や仕事とは違う、いのちの時間があってもいいのではないかと思う。それは、自分の内側を見つめる為の、ゆったりと流れる時間のことである。
 
 例えば、大切な方を亡くして悲しみに暮れている時、亡き人をしのび手を合わせる時、などが、「いのちの時間」ではないか。
 また、道ばたの小さな花にいとおしさを覚えたり、小鳥の声に耳を傾けたり、それも「いのちの時間」ではないか。
 
 私たちは、悩みに向き合い、静かに考える為に、あせらず、ゆっくりする時間が必要であると空海は言い残している。だが、心の痛みに折り合いをつけ、一歩前に踏み出すには、沢山の年月が必要かもしれない。
 
 お寺は「いのちの時間」がゆったりと流れている場所である。そう思うと、お寺、仏教も捨てたもんではないと感じる。
 教育と宗教は離れがたいものだ。