欠点は個性の象徴として考えてみる

 欠点が少ないという人はいますが、欠点がまるでないという人は、たぶんいないでしょう。もし、そんな人がいたとするならば、私は「ゴメン」ですね。「欠点」だらけでも困りますが、人は案外、欠点の多い人でも、欠点だらけとは見ないのが普通ではないでしょうか。また、自分では欠点だと思っていても、人はそうは見ない、という事もあります。
「欠点」を2つに分けて考えてみます。身体的欠点と精神的欠点の2つです。
身体的欠点とは、太りすぎ、背が低い、歯並びが良くない、老けて見られる、など、色々あります。精神的欠点となると、性格が暗い、すぐいじける、泣き虫、引っ込み思案、などでしょうか。いずれの場合も、ここに並べた欠点は「本人が欠点と思っている欠点」であると考えます。
 欠点もマイナスにとらえれば、コンプレックスに行き着くはずです。プラスにとらえれば、個性と考える事ができる。
 私は「欠点なんて気にしなくていい」と無謀な事はいうつもりは、さらさらないが、気にするあまり、気が滅入っているくらいなら、思い切って、個性の象徴ぐらいに考えたい。私はこのことが、相手には魅力と映る時もあると考える。だいいち、欠点なんて、きわめて不可解なものではないでしょうか。
 今の時代、国内でも個性重要視の教育が必要になっているから、このことも含めて考えていくのは不必要でないと私は考える。